イスタンブールの地下宮殿

イスタンブールは, 古代から多くの文化が交錯する場所として知られています. その中でもビザンツ帝国の遺産として地下宮殿[(バシリカ・シスタン(Basilica Cistern)]が存在します. バシリカ・シスタンは, イスタンブールの旧市街地に位置する地下宮殿. 地下宮殿はビザンツ帝国時代に作られた水道施設の一部として4~5世紀の間に建設される. 当時は水道施設の役割を持っていたため通常は一般人が立ち入ることができなかった場所だった. 中世の東ローマ帝国時代, バシリカ・シスタンは宮殿として使用され, 皇帝や貴族たちが集まり政治や文化の中心地として機能. また東ローマ帝国の滅亡後, オスマン帝国時代には宮殿の一部が軍の倉庫として使用されていた歴史があります

  • メデューサの頭:地下宮殿には2つの大理石でできたメデューサの頭がある
  • 歴史的な価値:ビザンツ帝国時代からオスマン帝国時代まで歴史的深い場所
  • 天井の装飾:地下宮殿の天井は美しい装飾が施されており, 中央ドームの装飾は印象的
  • ビザンツ帝国 オスマン帝国の歴史

    ビザンツ帝国(4世紀 – 1453年):ローマ帝国の東半分が分裂し, 東ローマ帝国として独立. 首都はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に置かれキリスト教が国教とされた. 1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで続く

    オスマン帝国(1299年 – 1922年):トルコ半島に成立したイスラム教国家で, 東ローマ帝国を滅ぼしてコンスタンティノープルを征服し, 首都とした. 16世紀には地中海東部やバルカン半島, 中東に領土を拡大し, オスマン帝国として栄華を極めた. しかし, 19世紀に入ると列強の圧力に晒され, 20世紀初頭には衰退し, 1922年にトルコ共和国として再建される

    ※「ビザンツ帝国」と「東ローマ帝国」は同じ国家を指しています. ただし, ビザンツ帝国という名称は, ビザンティウム(現在のトルコのイスタンブール地域)に首都を置いたローマ帝国の東半分を指しており, その後の帝国の時代には, 東ローマ帝国と呼ばれるようになりました. つまり, ビザンツ帝国と東ローマ帝国は同じ国家を指しており, 両者の違いはありません. ただし, ビザンツ帝国という名称がよく使われるのは, 東ローマ帝国の初期の時代(4世紀から6世紀)を指している場合が多い

    地下宮殿の魅力

    地下宮殿には、大小さまざまな列柱が並ぶ回廊が存在します. かつては水を貯水池(水道施設)として利用していたと言われており, 地下宮殿内には美しい水の景観が広がっています. 美しい反射光が床に映し出される様子は, まるで水上宮殿のような美しさがあります

    メデューサの柱

    入口には2本の柱があり, そのうち1本にはメデューサの顔が刻まれています. この柱は, 古代ギリシャ・ローマ時代の寺院から持ち込まれたものと言われており不思議な力を持っているとされています まさにパワースポットと言えるでしょう!!!

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    カテゴリー: トルコ世界遺産

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